2.お稲荷様の力

  

「うーん」

『うーむ』

「……うーん」

『……うーむ』

「…………」

『…………』

「……真面目に考える気あります?」

『あるかないかと言われたら……ないな』

「ちょっと、そんな他人事みたいに」

『ある意味そうだが』

「……今晩から油揚げ抜きですからね」

『うーむ、これは由々しき事態だ。至急何とかせねば』

「分かればよろしい……で、どうすればいいんですか」

 私はちょっとした事件から、お稲荷様という狐の神様に取り憑かれていた。普段は特に問題はないし、保母さんという仕事の面ではお稲荷様の力(というか出し入れ自在な尻尾)がとても重宝しているため、むしろ有難いくらいだった。何よりお稲荷様単純で扱いやすいし。

 

 しかし、ここに来て初めて(ではないけれど)問題が起きた。

 何と、一度出した尻尾が戻らなくなってしまったのだ。このままでは外を歩く事も出来ない。

『うーむ、どうやら我の力が普段より強くなっているようだ。そのせいで我の力をお主の体が抑えられなくなっているのだな』

「どうすれば元に戻るんですか」

『簡単なことだ、溢れた力を発散させてやればよい』

「で、具体的には」

『おそらく尻尾を刺激することで力を外に出すしかあるまいな』

「要するに尻尾を撫で撫でしろってことですか」

 うー、やだなぁ。私は顔をしかめた。尻尾は敏感で、ちょっと触っただけでも体に力が入らなくなるのに、それをなくなるまで撫でるだなんて……。

『ふふ、安心しろ。お主は何もせずともよい。ちょっと待っておれ』

 私の胸中を読んだかのように、お稲荷様は言った……実際読んだんだろうけど。

 

「待たせたな」

「……もしかしなくても、お稲荷様ですか?」

 お稲荷様の声が聞こえた方を見ると、そこには狐色の髪の毛をお尻の下くらいまで伸ばした背の高い人が立っていた。もちろん耳や尻尾もあった。

「お稲荷様って……女の人だったんですか。それに、……凄く美人」

 切れ長で理知的な感じを醸し出している目、すっと通った鼻筋、ふっくらと女性らしさが現れている唇などが色白な肌にバランスよく配置されていた。そして、見るもの全てを魅了しそうなまさにボン、キュッ、ボンの完璧なプロポーション。
 あまりに現実離れした、人には到底作り出せない美しさに、私は見惚れていた。

「気に入っていただけたようで何より。これからお主を犯す者の姿をしかと焼き付けておけ」

 お稲荷様の切れ長の目が細まり、妖しげな光を放つのを見て、私は一歩後ずさった。今まで狐の姿のラブリーなお稲荷様しか見た事がなかったから、正直、今のお稲荷様は少し怖かった。口調はいつもと変わらないはずなのに、ひどく冷たい響きを含んでいる、そんな気がした。

 そして決定打はさっきのお稲荷様の言葉。私を犯す?

「逃げるな」

 いつの間にかお稲荷様は私のすぐ目の前まで来ていた。そして私をいわゆるお姫様抱っこでベッドまで運び、その上に放り投げた。

「おいおい、そんなに怖がる事はないだろうが。いつもは散々我を単純だのなんだの言いたい放題のくせに……頼むから泣かないでくれ」

「え?私、泣いてなんか」

「お主の心が泣いておるのだ。……そんなにこの姿が怖いか……なれば……えいっ」

 ポン、と音がして、女の人の姿は消え、目の前には狐のお稲荷様の姿があった。

「これならどうだ……こら、いきなり抱きつくな、無礼者が。大体この姿になったところでやることは変わらぬぞ」

「要するに獣姦か強姦か二つに一つってことですか」

「ばか者、そのような例えをするでない。まったくお主というやつは……ぶつぶつ」

 毛を逆立てたり尻尾をピンと立てたり寝かせたりするお稲荷様を見て、私は全身から恐怖が消えていくのを感じた。

「ねぇお稲荷様。狐と女の人、どっちが本当の姿なんですか」

「どちらもそうだともいえるしそうでないとも言えるな。目に見えるものは真実の一部だが、真実の全てを目で見る事は不可能だからな。何故そんな事を聞く」

「犯すって、エッチするってことですよね」

「む……率直に言うとそうなるな」

「どうせお稲荷様とエッチするんなら、本当の姿のお稲荷様としたいなぁと思ったんですよ。でも、どっちも本物なんだったら……女の人の姿のお稲荷様としたいです」

「さっきはあれだけ怖がっていたではないか」

「真実は全てのものの中にあるんですよね。どんな姿になっても、たとえミジンコの姿になってもお稲荷様はお稲荷様なんですよね。だったら怖くないです。お稲荷様も手が自由に使えた方がいいんじゃないですか……それに、どうせなら狐さんより綺麗なお姉さんとしたいです」

「むぅ、ミジンコは遠慮したいぞ……しかし、全く恐れられていないのも、それはそれで複雑な気分なんだが……」

「それだけお稲荷様を信頼してるってことですよ。今日は日曜日ですし、時間はたっぷりありますよ。早速、しましょ♪」

「……急にやる気になりおったな。まぁ、無理矢理するのは我も好きではない故助かるが……わっ、こら、だからいきなり抱きつくな!!」

「だって、お稲荷様、とってもおいしそうなんだもん。いっただっきまーす♪」

 私はお稲荷様を押し倒した。尻尾がつぶれないようにお尻を浮かせているため、お稲荷様の大事な部分が全部見えた。狐色の陰毛が控えめに生えていて、何かの魔力に惹きつけられたかのように、気付くと手がお稲荷様の割れ目を触っていた。

「んっ、こら、いきなりそこを触るやつがあるか。全くお主というやつは、ムードもへったくれもないやつだな」

「だって、すっごく綺麗なんだもん。どこもかしこも綺麗でおいしそうで、私おかしくなっちゃいそうですぅ」

「……素直にほめ言葉と受け取りがたいのだが……ところでお主、男は嫌いか」

「は? いや、別にそんなことは」

 お稲荷様の質問の意図が分からず、首を傾げた。

「ふむ……では、この姿はお主の願望か。……いやなに、この姿はお主の心の具現したものだからな。俗に言う、狐に化かされるってやつだ」

 くくく、といたずらっ子のような笑みを浮かべるお稲荷様。それすらも妖しげな魅力を醸し出していた。もう、化かされてもいい。

「こんなに綺麗なお姉さんとエッチできるなら、いくらでも化かしてください! お稲荷様」

「そういうことなれば、喜んで化かしてやろうぞ。我の力、とくと味わうがよい」

 

「では、早速」

「んっ、……ふぅ……はぁ……」

 お稲荷様のふっくらとした唇が、私の唇に触れた。お稲荷様の唇は、想像以上に柔らかくて、もうそれだけで全身が溶けてしまいそうになった。

『口を開けるがよい』

 頭の中に響いてきたお稲荷様の声の通りにすると、お稲荷様の舌が口の中に入ってきた。

 歯茎や口の中を舐められた。くすぐったいようなもどかしいような刺激に、思わず私の方からお稲荷様の舌に舌を絡めていた。

『ほう、なかなか積極的だの。そういうことなら口だけで果てさせてやろうぞ』

 私の舌を絡め取り、くいっと引っ張ると、舌の根元にまでじん、とした感覚が響いた。

「んむぅ……」

 舌の表と裏を満遍なく舐められ、何かが私の口の中に流れ込んできた。それがお稲荷様の唾だと気付く余裕もなく、それを飲んだ。甘い味が口中に広がった。おいしい、もっと飲みたい。それしかもう考えられなくて、お稲荷様の舌に貪りつき、吸った。

『舌を出せ』

 もう自分が何をしているのか理解できないまま、舌だけが勝手に動いていた。

『いい子だ。……そろそろ果てるがよい』

 お稲荷様が私の舌を軽く噛んだ。ずぅん、揺さ振られるような衝撃が全身を貫き、私は意識を失った。

 

「ん……」

「目が覚めたか」

 目を開けると、にやにやと笑みを浮かべたお稲荷様の顔があった。

「……何をしたんですか」

「お主の舌を軽く歯で挿んでやっただけだが」

「嘘言わないでください……油揚げ……」

「ぐっ卑怯な……我の力を少し流してやっただけだ。もちろん体に害なぞないぞ。むしろ体にいいくらいだ。どうだ、体が軽くないか」

「あ……ほんとだ、肩や首が凄く楽になってます」

 軽く肩を回すとひどかったはずの肩凝りが嘘のように無くなっていた。全身の血の巡りがよくなっているみたいで、冷え性も治っていた。しかし、まだ問題が残っていた。

「……尻尾が元に戻っていないんですけど」

「それはもうお主の体の一部になっている。自由に出し入れできるはずだ」

「あ……ほんとだ。……って、私の体の一部?! 私の中のお稲荷様の力を発散させるはずだったんじゃないんですか。それがなんでこんな」

「我の力をお主が使えるようになればこのようなことは二度と起こらぬからな。その方が手っ取り早いと思いついたんだ。それより汗を掻いただろう。しゃわーを浴びてきたらどうだ」

「……なんか企んでません?」

「ふふ、何のことやら」

――あやしい。ジト目で見ても、全く表情を変えないお稲荷様に、私は軽く溜息をついてシャワーを浴びに行った。お稲荷様が後ろで声を抑えて腹を抱えて大笑いしているのなんか全く気付かなかった。

 

 そして、脱衣場の鏡を見て、私は固まった。そして、強張った表情のまま、まだ大笑いをしていたお稲荷様に、静かに言った。

「一週間揚げなしでいいですか」

ピキーン。空気がしばし凍りついた。

「横暴だ。我を何だと」

「いたずら好きの揚げが大好きなエロ神様ですよね」

「な、何と無礼な……」

「耳が出てるなら出てるって、教えてくれればいいじゃないですか。それをわざわざ私が驚くのを楽しんで……そんな人を、神様だからって敬えるわけないでしょう! 大体、私は尻尾を戻して欲しかっただけなのに、何で」

「黙れ」

 ビクッ! お稲荷様の周りの空気が変わった。お稲荷様の怒りが伝わって、空気そのものが震えていた。切れ長の目が鋭くなり、毛が逆立ち、尻尾も耳もピンと立っていた。どうしよう。本気で怒ってる。

「ヒッ!」

 お稲荷様が無言で近づいてきた。逃げようにも、あまりの恐怖のためか、まるで私の周りの空気が固められたみたいに、体の自由が全く利かなかった。そうこうしている内に、お稲荷様がすぐ目の前まで近づいてきていた。お稲荷様と目が合った。殺される。そう思った。お稲荷様の手が私に伸びてきて、私は恐怖のあまり目をつぶった。もう駄目だ。私は怒らせてはいけない人を怒らせてしまったんだ。

 しかし、お稲荷様の手は、いつになっても私に触れることはなかった。恐る恐る目を開けると、お稲荷様はさっきと同じ体勢で私を見ていた。

 けれど、その表情は私が今まで見た事のないものだった。さっきの大笑いしていた時とは全く違う、愛しさと苦笑いが混ざったような、全てのものを包み込む、そんな笑顔をお稲荷様は浮かべていた。あぁ、やっぱり神様なんだ。そう思わせるものが、その笑みにはあった。

「全く、あまり我を怒らせるな。他のものなら跡形もなく狐火で燃やしていたところだぞ」

 その笑みを浮かべたまま、お稲荷様は平然と言った。表情と言葉のギャップがかえって怖かった。

「ごめんなさい、お稲荷様。生意気言って。これからは言葉遣いに気をつけます」

「分かればよい……あぁもう、泣くなと言うておろうが、この泣き虫めが」

 気が抜けたせいか、私は泣き出してしまった。

「頼むから泣かないでくれ。我はお主のことを気に入っておる。お主が泣くのを見るのは辛いのだ」

 その言葉に、涙がますます止まらなくなった。目からは滝のように涙が流れていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、お稲荷様」

「わかったから……もういい、少し眠れ」

 お稲荷様の手が頭に触れて、私は意識を失った。

 

 結局今回の事件の原因は何だったのか。
 お稲荷様は「気持ちが昂るとそれに合わせて力が上昇するのだ。だが、今回ばかりは原因が分からぬ」と首を傾げていた。

 私には思い当たる節があった。しかし、それをお稲荷様に伝えるのは何となく憚られた。まぁ、私が気をつければいいだけの話だし。それに、今の私はお稲荷様の力をほんの少し持ってるから、今回のようなことはもう起きないだろうし。

 

「お稲荷様〜! 今度は一体何なんですか?!」

「お主、いつの間に外人になったのだ」

 あれ以来部屋の中では外に出ているお稲荷様がそんな事を言ってきた。もしかして、お稲荷様って天然?
 ちなみに今は狐の姿で、見つからないように隠してあったはずの油揚げを咥えていた。

「違います! 起きたらこうなってたんです!! この髪の色、どう見ても狐色じゃないですか」

「むぅ。言われてみれば……しかし、お主に渡した力でこの間程度の力なら問題なく抑えられるはずなんだが……」

(お稲荷様ったら、そんなに嬉しかったんだ。揚げ10枚)

 

 本日の教訓:お稲荷様に揚げを10枚以上食べさせるべからず(ほんとに、食いしん坊なんだから)

「何か言ったか」

「いいえ、何にも」

「それより、また力を注いでやらねばな」

 お稲荷様の目が妖しく光った。

 

 教訓その2:お稲荷様を本気で怒らせる事なかれ

 

萌雀投稿時タイトル:入らない大事なしっぽ

 

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