5.人としての幸せ(前編) 「お稲荷様。私ちょっと出掛けたいんですけど、どうします?」 「そうだのう。今日はお主の中に入ろうかの……何だそのあからさまに残念そうな顔は」 「お姉さまと久々にデートできると思ってせっかくお洒落したのに、という顔です」 「――言うておくが姿を具現化しておくのは力を使うゆえ多少面倒なのだぞ……ここには結界を張っておるゆえ特に力を使う必要はないがの」 「――分かりましたよ、それじゃあ私の中に入ってください」 チュッ! 『何故お主の中に入るたびに接吻をせねばならぬのだ……』 『だって、私の中に入るには互いの体の一部を触れ合わせないといけないんでしょう?』 『え〜い、そういうことを言うておるのではないわ! 別に口でなくとも手でもよかろうがと言うておるのだ』 『何言ってるんですか、そんな勿体ない』 『…………』 (我は何故こんなやつに憑いてしまったのだろうな)
我の名は宇治狐麻呂(うじのきつねまろ)、人間の呼ぶところの神である。
誰とでも臆することなく話が出来(出来れば我にはもう少し遠慮というものをしてほしいものだが)、周りに流される事なく自分を持っている(否、俗に言う天然かの、あれは)娘。それでいて周囲に気を配り、人を思いやる事が出来る。 少々困ったところもあるが、心優しきこの娘を我は割と気に入っておる。
だが……最近我を見る娘の目が変わったのには、勘弁してほしいのだ。
我は人ではない、神だ。当然、人と結婚できるはずもなければ子供も作れるはずがない。我は娘には人並みの幸せを手にしてほしいのだ。それを我に対する一時的な恋愛感情などのためにふいにはしてほしくない。 我は一つの決心をした。もし娘が今の生活に不満があり、その原因が我にあるのなら、娘が何と言おうとも、ここを去ろうと。
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